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湯浅広川消防組合は和歌山県、湯浅町及び広川町を管轄とする消防組合です。

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〒643-0002 和歌山県有田郡湯浅町大字青木670番地

稲むらの火

 この写真は広川町庁舎前に建てられている浜口梧陵翁の銅像です。
 広川町の生んだ偉大な先覚者・浜口梧陵翁の業績を称え、明治30年小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)により、「生ける神」なる物語として全世界に紹介され、昭和12年には文部省発行、小学校国語読本巻十(5年生用)に「稲むらの火」として紹介されていました。
平成16年12月のインド洋大津波以降、世界規模で「稲むらの火」の物語を津波防災教育の教本として活用されており、我が国でも平成23年度から小学校教科書に再掲載されています。
 また、同町では平成19年4月に稲むらの火の館(浜口梧陵記念館・津波防災教育センター)が建設されました。
「これはただ事ではない。」とつぶやきながら五兵衛は家から出てきた。
−−−−『稲むらの火』より抜粋−−−−
安政元年(1854)に広村(現在の広川町)を襲った大津波。浜口梧陵は被災した人々のために敢然と立ち上がりました。彼の活躍ぶりを描いた「稲むらの火」からは、当時の緊迫感がひしひしと伝わってきます。
 梧陵は、広村で分家浜口七右衛門の長男として生まれ、12歳の時に本家の養子として銚子(現在の千葉県)に移り、家業であるヤマサ醤油の事業を継ぎました。
 たまたま彼が広村に帰郷していたとき、突如大地震が発生し、紀伊半島一帯を大津波が襲いました。
 彼は、稲むら(ススキや稲束を積み重ねたもの)に火を放ち、この火を目印に村人を誘導して、彼らを安全な場所に避難させました。しかし、津波により村には大きな爪あとが残りました。
 このかわり果てた光景を目にした梧陵は、故郷の復興のために身を粉にして働き、被災者用の小屋の建設、農機具・漁業道具の配給をはじめ、各方面において復旧作業にあたりました。また、津波から村を守るべく長さ650m余り、高さ約5mの防波堤の築造にも取り組み、後の津波による被害を最小限に抑えました。
 その他にも、私塾「耐久舎」の開設、又藩政、国政にも様々な活躍をし、その功績をたたえる碑が広川町内の各地に建立されています。
 梧陵の精神は湯浅広川消防組合の防災の精神的支柱として受け継がれています。
浜口梧陵の偉大な業績を称え、明治30年(1897)小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)により「生ける神」なる物語として全世界に紹介されました。
 又、昭和12年文部省発行、小学校国語読本巻十(5年生用)に「稲むらの火」として浜口梧陵を紹介しました。
 なお、その他詳細に関しては稲むらの火の館又は広川町教育委員会までお願いします。

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